2007年 01月 21日
今年一番さむかった日 |
曇り。9.4℃/3.5℃/48%/907day
昨日は"大寒"の名に恥じないこの冬一番の寒さだったらしい。
前日金曜日に仕事がはねた後、ネットで新聞を読んでました。朝日、読売、産経の3紙は目を通しています。あと株価とコラムが気になるときは日経と。
目に付いたのはこの方。フィギュアスケートの"高橋大輔"さんっす。特にこの写真の、エアブラシを吹きかけたような氷の破片を写し込んだお姿が良いなぁと。王子様って感じですか!?思いっきり偏見ありですけれど、織田さんがテクニック的に優れていたとしても、個人的には激しく高橋さんに勝っていただきたいです。(笑
とはいえ、日の差さない寒い日が続く。
土曜日は少し寝坊する。朝食を摂った後ウォーキングに出て、帰宅後シャワーを浴びる。軽くお昼ご飯を食べて髪を切りに行く。最近担当美容師がフロントをアシンメトリーに造り込むので「コレ、若作りすぎない?」とか苦笑いだよ。
今年初めての雪が降るかもしれないという予報の中、九段下までメトロに乗って"靖国神社"に足を運んだんだ。いま"山本七平"氏の著作を読んでいて、もう少し"統帥権からみた近代政党政治の流れ"ってのを追っかけたくなった。いろいろな意味で議論の象徴であり、かつ関係者が祀られているところに筋通しておこうかなぁという気持ちがあったのと、中韓(一部アメリカ)が文句を言っている"遊就館"を一度見てみないとなって思ったんだ。
初雪を迎えた東京。小雪がちらつく中、ゆっくりと九段坂をのぼっていった……と、ちと文学的に書きたいところだけど、実際は氷雨がぱらつく中、巨大な鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめながら社殿に向かったのでした。
(↑これが入場チケット。零戦ですなぁ)
さて、問題の"遊就館"(¥800)の印象はなかなか表現しがたい。
僕にとっては、義務教育+高校までの日本史教育から欠落している部分が補完されている感じだ。実際僕の日本史教育は「イチヤムナシイ大政奉還」か官営富岡工場あたりで終了しましたので。(w それ以降の知識は小説経由だったり、ドキュメンタリーを読んだりというもの。だからここに来てつかめたのは本当に雑感だけだよ。
兵器が集められた空間はひんやりとして、かすかに禍々しい波動が伝わってくる。尊皇攘夷運動あたりから敗戦までを"いわゆる靖国史観"をベースにして解説されている。それは多少悲劇性を含ませた講談調(?)のような文体であり、これを書いた人の悲嘆が出過ぎているなぁという気もするが、でも「まぁこんなものでしょう」という感じでもある。それよりも、館内で流されているビデオのナレーションやテロップが北鮮のそれのようで気味の悪さは曰く言い難い。
この建物を中韓が「恥知らずにも戦争を美化している」と批判するという。僕は知らないが同様の展示施設は中韓にもあるのだろう。それを「恥知らずにも戦争を美化している」と我々が指摘したら、おそらく彼らからは「わが国独立の誇りと栄光をたたえる愛国施設にイチャモンつけるな」とでも言い返されるに違いない。
戦史解説のパネルが延々と続いていたけど、あまり気持ちが揺さぶられなかった。それは山本氏の「前線で戦った兵士」の言葉以外は、作家、記者、ライターの言葉には虚構がたくさん含まれているという指摘が頭に残っているせいだろう。勇ましい言葉は疑えと。大言壮語するヤツほど、弾の飛んでこないはるか後方で無責任に言葉をまき散らしていると。
そんな事を反芻していた僕は、不真面目な入館者だったのかもしれない。食い入るように軍服や軍刀を見つめている男女などは僕には薄気味悪かった。最後の展示室の壁を埋め尽くしている戦死者の写真と、いくつかの遺書だけが、ただただ哀しかった。
自虐史観とか靖国史観とか、すでに一部では言葉の遊びになってしまっている感もある。が、素直にそれぞれの主張を並べれば、日本は「自衛のための戦争だった」と主張しているのだし、中韓は「侵略戦争だった」と主張しているわけで、僕はそのいずれも正しいのだと思う。見方の問題。太陽は一つ。北半球の人にとっては南にのぼる太陽も、南半球の人には北の空に輝く。そういう話だろう?
いまから70年近く前に大きな戦乱があった。
その解釈は関係者によってまったく異なる。
"黒澤明"の"羅生門"と同じさ。一つの事実を巡って関係者がまったく別の見方を訴える。「見方」だけなら関係者の数だけそれは存在する。
一番汚いのは「私設応援団」を買って出て、それをメシの種にしている人間と集団ではないのかと、僕は思うのです。
昨日は"大寒"の名に恥じないこの冬一番の寒さだったらしい。
前日金曜日に仕事がはねた後、ネットで新聞を読んでました。朝日、読売、産経の3紙は目を通しています。あと株価とコラムが気になるときは日経と。
目に付いたのはこの方。フィギュアスケートの"高橋大輔"さんっす。特にこの写真の、エアブラシを吹きかけたような氷の破片を写し込んだお姿が良いなぁと。王子様って感じですか!?思いっきり偏見ありですけれど、織田さんがテクニック的に優れていたとしても、個人的には激しく高橋さんに勝っていただきたいです。(笑
とはいえ、日の差さない寒い日が続く。
土曜日は少し寝坊する。朝食を摂った後ウォーキングに出て、帰宅後シャワーを浴びる。軽くお昼ご飯を食べて髪を切りに行く。最近担当美容師がフロントをアシンメトリーに造り込むので「コレ、若作りすぎない?」とか苦笑いだよ。
今年初めての雪が降るかもしれないという予報の中、九段下までメトロに乗って"靖国神社"に足を運んだんだ。いま"山本七平"氏の著作を読んでいて、もう少し"統帥権からみた近代政党政治の流れ"ってのを追っかけたくなった。いろいろな意味で議論の象徴であり、かつ関係者が祀られているところに筋通しておこうかなぁという気持ちがあったのと、中韓(一部アメリカ)が文句を言っている"遊就館"を一度見てみないとなって思ったんだ。
初雪を迎えた東京。小雪がちらつく中、ゆっくりと九段坂をのぼっていった……と、ちと文学的に書きたいところだけど、実際は氷雨がぱらつく中、巨大な鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめながら社殿に向かったのでした。
(↑これが入場チケット。零戦ですなぁ)
さて、問題の"遊就館"(¥800)の印象はなかなか表現しがたい。
僕にとっては、義務教育+高校までの日本史教育から欠落している部分が補完されている感じだ。実際僕の日本史教育は「イチヤムナシイ大政奉還」か官営富岡工場あたりで終了しましたので。(w それ以降の知識は小説経由だったり、ドキュメンタリーを読んだりというもの。だからここに来てつかめたのは本当に雑感だけだよ。
兵器が集められた空間はひんやりとして、かすかに禍々しい波動が伝わってくる。尊皇攘夷運動あたりから敗戦までを"いわゆる靖国史観"をベースにして解説されている。それは多少悲劇性を含ませた講談調(?)のような文体であり、これを書いた人の悲嘆が出過ぎているなぁという気もするが、でも「まぁこんなものでしょう」という感じでもある。それよりも、館内で流されているビデオのナレーションやテロップが北鮮のそれのようで気味の悪さは曰く言い難い。
この建物を中韓が「恥知らずにも戦争を美化している」と批判するという。僕は知らないが同様の展示施設は中韓にもあるのだろう。それを「恥知らずにも戦争を美化している」と我々が指摘したら、おそらく彼らからは「わが国独立の誇りと栄光をたたえる愛国施設にイチャモンつけるな」とでも言い返されるに違いない。
戦史解説のパネルが延々と続いていたけど、あまり気持ちが揺さぶられなかった。それは山本氏の「前線で戦った兵士」の言葉以外は、作家、記者、ライターの言葉には虚構がたくさん含まれているという指摘が頭に残っているせいだろう。勇ましい言葉は疑えと。大言壮語するヤツほど、弾の飛んでこないはるか後方で無責任に言葉をまき散らしていると。
そんな事を反芻していた僕は、不真面目な入館者だったのかもしれない。食い入るように軍服や軍刀を見つめている男女などは僕には薄気味悪かった。最後の展示室の壁を埋め尽くしている戦死者の写真と、いくつかの遺書だけが、ただただ哀しかった。
自虐史観とか靖国史観とか、すでに一部では言葉の遊びになってしまっている感もある。が、素直にそれぞれの主張を並べれば、日本は「自衛のための戦争だった」と主張しているのだし、中韓は「侵略戦争だった」と主張しているわけで、僕はそのいずれも正しいのだと思う。見方の問題。太陽は一つ。北半球の人にとっては南にのぼる太陽も、南半球の人には北の空に輝く。そういう話だろう?
いまから70年近く前に大きな戦乱があった。
その解釈は関係者によってまったく異なる。
"黒澤明"の"羅生門"と同じさ。一つの事実を巡って関係者がまったく別の見方を訴える。「見方」だけなら関係者の数だけそれは存在する。
一番汚いのは「私設応援団」を買って出て、それをメシの種にしている人間と集団ではないのかと、僕は思うのです。
by cool-october2007
| 2007-01-21 17:35
| 日常生活