2007年 02月 05日
Memento mori |
晴れ。14.2℃/1.8℃/46%/894day
ブログでも何回か触れてきたけど、ぶっちゃけわが家は現代社会問題の巣窟のような場所なんだ。老人問題、定年団塊世代問題、熟年離婚危機問題、少子化問題の4問題が集結している。最後の少子化問題の当事者はゲイの僕だ。(;^ω^)
定年団塊世代問題と熟年離婚危機問題は大体セットみたいなもんだから、すると老人問題、団塊の世代問題、少子化問題というまさに三題噺ってことになる。ちなみに団塊の世代問題に老人性(それとも壮年性?)鬱ってのが付属しているからほぼパーフェクト。こんな八方ふさがりの中で僕は暮らしているんだよ。
ウチには両親+祖母がいます。89歳の祖母は去年後半から軽度の認知症と、急速な老衰が始まりました。彼女の介護と生活の面倒を60代後半の両親が見ている。ほとんど母親が看ているといってよい。まさに老・老介護って状態です。僕の立場からはそろそろ自分の両親の介護について考え始めなければならない前に、言い方は悪いけれど「さらに前が詰まっている」状況を見て愕然とするときがあります。政府の言う年金に関して1人の老人を若者2人で支えるなんてもんじゃない悲惨な状況ですねぇ。(苦笑)
最新号の日経ビジネス短期集中連載「団塊700万人が動く」第3回目連載で、定年した男性団塊世代の特徴が述べられている。
◆会社と仕事において
・団塊の世代は会社に残って長年の経験を後進に伝えていきたい
→NG。「匠」でもない限りは不要。
・経験を生かしてコンサルタントとして起業
→NG。会社の看板で仕事していた人はすぐに行き詰まる。
団塊男性にとって仕事はまさに生きがいそのものだった。しかし定年を迎えた途端、会社や仕事に居場所する見つけられなくなるのが現実なのだ。
◆家庭において
・妻とのあいだの齟齬
→ほんの些細なことをきっかけに言い争いになってしまい、「勝手にしろ」とドアを何度ピシャリと音高く閉めたか分からない。
→こうした主婦たちの夫は定年後、食事や家事を強要したり、妻の外出先や帰宅時間を細かく監視したりなど、妻を精神的にも縛り付けているという。
・「みのむしおじさん」の罪
→家にいるなと言われても、定年後の男性が時間をつぶせる場所は近所の図書館くらい。新しい趣味を持とうと思っても、なかなかコレというものが見つからない。
結局「充電中」と称して一日中家にいて、テレビを見たり、昼間からビールを飲んだりしてゴロゴロするだけ。
作家の西田小夜子氏は、ソファと一体化し、寝そべったままの日々を過ごす夫たちの姿を「みのむしおじさん」と呼ぶ。妻たちはこんな夫の3度の食事の世話で外出もままならない。
「自分自身を楽しませることすらできない男性は自立していないと言わざるを得ない。妻が愛想を尽かすのはこんな自立できない夫」
◆熟年離婚
→熟年離婚のもっとも近くにいるのは、不機嫌な顔をして、何もせずにただ家にいるだけの夫
あー、もぉウチの父親そのものだ。
しかも現役時代は役員だったから、他人にしてもらって当たり前。周りがご機嫌伺いに来て当たり前。命令はするけれど自分は手を出さないのが当たり前。本人はいろいろとガマンしていると言うけれど、周りから見ればわがままで空回りしている。夫唱婦随なんて全然うまくいっていない。
そのうえ自分の居場所確保、妻との関係の確立をうまく処理できなくて、傍目から見ていると鬱状態になっているようだ。頑なに心を閉ざしているから外側からはなかなか対処できない。
こんな風に定年団塊世代問題と熟年離婚危機問題は、毎日そして毎週末僕の頭を悩ませている。
僕にとって「老人問題」は問題ではなかったりする。僕を含めて最終的解決(=死)は必ずやってくる。問題というと解決方法があるように思えるが、本件について解決はないと思う。最終着地点に向かってみんなが進んでいく過程で、お互いにどれだけ気持ちよくお互いを気遣い、支え合って生きてゆけるのか、だけなのだと思ってる。だから介護についても僕は手伝うし、この仕事を女性に押しつけて解決を図っている男性は怠惰であると考える。一緒にやらなきゃ。誰かの仕事じゃないんだよ。
会社人間の末路……特に父親を見ていると、管理職になって自分の手を動かすことが少なくなり、号令をかけるだけの人間になるということは、会社にいた長い時間は、徐々に自分自身を無能にしてゆく過程だったのかなとか想像してしまうこともある。僕が「手を動かす人間が一番エライ」と考えるようになるにはこんな背景があった。
最終着地点に向かって進んでいる祖母の横で、夫婦間の日々の摩擦は激しくなるばかり。手前のことで揉めていないでちゃんと先を見据えようよと訴えているんだが、現実はなかなか難しいね。
ってここまで書いてきて、ちょっと父親の評価が辛口すぎるかなとも思った。
バランスをとり続けることはなかなか難しい。
今日のランチ!は"大勝軒 お茶の水店"で禁断の"盛りそば大盛り"を初体験してきました。隣のテーブルに運ばれてきたドンブリと麺の量を見て激しく後悔。もうフードファイター(赤坂さん?)になったつもりでガッツリ食いましたよ。すっかりぼて腹になっちった。当然夕飯抜きです!
ちょっと怯むソバの量だよね。
(;^ω^)
ブログでも何回か触れてきたけど、ぶっちゃけわが家は現代社会問題の巣窟のような場所なんだ。老人問題、定年団塊世代問題、熟年離婚危機問題、少子化問題の4問題が集結している。最後の少子化問題の当事者はゲイの僕だ。(;^ω^)
定年団塊世代問題と熟年離婚危機問題は大体セットみたいなもんだから、すると老人問題、団塊の世代問題、少子化問題というまさに三題噺ってことになる。ちなみに団塊の世代問題に老人性(それとも壮年性?)鬱ってのが付属しているからほぼパーフェクト。こんな八方ふさがりの中で僕は暮らしているんだよ。
ウチには両親+祖母がいます。89歳の祖母は去年後半から軽度の認知症と、急速な老衰が始まりました。彼女の介護と生活の面倒を60代後半の両親が見ている。ほとんど母親が看ているといってよい。まさに老・老介護って状態です。僕の立場からはそろそろ自分の両親の介護について考え始めなければならない前に、言い方は悪いけれど「さらに前が詰まっている」状況を見て愕然とするときがあります。政府の言う年金に関して1人の老人を若者2人で支えるなんてもんじゃない悲惨な状況ですねぇ。(苦笑)
最新号の日経ビジネス短期集中連載「団塊700万人が動く」第3回目連載で、定年した男性団塊世代の特徴が述べられている。
◆会社と仕事において
・団塊の世代は会社に残って長年の経験を後進に伝えていきたい
→NG。「匠」でもない限りは不要。
・経験を生かしてコンサルタントとして起業
→NG。会社の看板で仕事していた人はすぐに行き詰まる。
団塊男性にとって仕事はまさに生きがいそのものだった。しかし定年を迎えた途端、会社や仕事に居場所する見つけられなくなるのが現実なのだ。
◆家庭において
・妻とのあいだの齟齬
→ほんの些細なことをきっかけに言い争いになってしまい、「勝手にしろ」とドアを何度ピシャリと音高く閉めたか分からない。
→こうした主婦たちの夫は定年後、食事や家事を強要したり、妻の外出先や帰宅時間を細かく監視したりなど、妻を精神的にも縛り付けているという。
・「みのむしおじさん」の罪
→家にいるなと言われても、定年後の男性が時間をつぶせる場所は近所の図書館くらい。新しい趣味を持とうと思っても、なかなかコレというものが見つからない。
結局「充電中」と称して一日中家にいて、テレビを見たり、昼間からビールを飲んだりしてゴロゴロするだけ。
作家の西田小夜子氏は、ソファと一体化し、寝そべったままの日々を過ごす夫たちの姿を「みのむしおじさん」と呼ぶ。妻たちはこんな夫の3度の食事の世話で外出もままならない。
「自分自身を楽しませることすらできない男性は自立していないと言わざるを得ない。妻が愛想を尽かすのはこんな自立できない夫」
◆熟年離婚
→熟年離婚のもっとも近くにいるのは、不機嫌な顔をして、何もせずにただ家にいるだけの夫
あー、もぉウチの父親そのものだ。
しかも現役時代は役員だったから、他人にしてもらって当たり前。周りがご機嫌伺いに来て当たり前。命令はするけれど自分は手を出さないのが当たり前。本人はいろいろとガマンしていると言うけれど、周りから見ればわがままで空回りしている。夫唱婦随なんて全然うまくいっていない。
そのうえ自分の居場所確保、妻との関係の確立をうまく処理できなくて、傍目から見ていると鬱状態になっているようだ。頑なに心を閉ざしているから外側からはなかなか対処できない。
こんな風に定年団塊世代問題と熟年離婚危機問題は、毎日そして毎週末僕の頭を悩ませている。
僕にとって「老人問題」は問題ではなかったりする。僕を含めて最終的解決(=死)は必ずやってくる。問題というと解決方法があるように思えるが、本件について解決はないと思う。最終着地点に向かってみんなが進んでいく過程で、お互いにどれだけ気持ちよくお互いを気遣い、支え合って生きてゆけるのか、だけなのだと思ってる。だから介護についても僕は手伝うし、この仕事を女性に押しつけて解決を図っている男性は怠惰であると考える。一緒にやらなきゃ。誰かの仕事じゃないんだよ。
会社人間の末路……特に父親を見ていると、管理職になって自分の手を動かすことが少なくなり、号令をかけるだけの人間になるということは、会社にいた長い時間は、徐々に自分自身を無能にしてゆく過程だったのかなとか想像してしまうこともある。僕が「手を動かす人間が一番エライ」と考えるようになるにはこんな背景があった。
最終着地点に向かって進んでいる祖母の横で、夫婦間の日々の摩擦は激しくなるばかり。手前のことで揉めていないでちゃんと先を見据えようよと訴えているんだが、現実はなかなか難しいね。
ってここまで書いてきて、ちょっと父親の評価が辛口すぎるかなとも思った。
バランスをとり続けることはなかなか難しい。
今日のランチ!は"大勝軒 お茶の水店"で禁断の"盛りそば大盛り"を初体験してきました。隣のテーブルに運ばれてきたドンブリと麺の量を見て激しく後悔。もうフードファイター(赤坂さん?)になったつもりでガッツリ食いましたよ。すっかりぼて腹になっちった。当然夕飯抜きです!
ちょっと怯むソバの量だよね。
(;^ω^)
by cool-october2007
| 2007-02-05 21:20
| オモウコト